2014年09月20日

【映画】人にオススメできない名作『凶悪』を観た。本当に凶悪だった。



いろんな映画を観ていると、必ず一度は観たことを後悔するような作品に出会う。
そういった作品は、その作品を選んだ自分自身に反省を科してしまうのがほとんどだけど、『凶悪』は違った。こんな映画見なけりゃ良かったとすら思う。でもこれを観ようと思った自分は間違っていなかった。
文字通り「凶悪」な映像作品であり、鑑賞後に気分を落とさずにいられる人は居ないはずなのに、なぜか後味は悪くない。
口に含むときは苦いけど、体調は良くなってくる妙薬、もしくは劇薬のような作品でした。
ある日、ジャーナリストの藤井(山田孝之)は、死刑囚の須藤(ピエール瀧)が書いた手紙を持って刑務所に面会に訪れる。須藤の話の内容は、自らの余罪を告白すると同時に、仲間内では先生と呼ばれていた全ての事件の首謀者である男(リリー・フランキー)の罪を告発する衝撃的なものだった。藤井は上司の忠告も無視して事件にのめり込み始め……。
yahoo!映画より引用

多くの方が感想にあげているけど、とにかく残酷な映像が多い。時にあっさりと、時に執拗に暴行や殺人の過程をみせつけてくる。
血や欠損描写による残酷シーンもあるけど、何より精神的に残酷なシーンがきつい。
酒を大量に、しかも強制的に飲ませ続けることでおじいさんをヤってしまうシーン。「助けてください、死にたくない」と必死に命乞いをしているおじいさんを根底から否定するように嘲笑い、電気ショックを加え、暴言を浴びせながら死に至らしめる。大学生の飲み会で死人が続出するのも、「こういう奴ら」が日常に潜んでいるという証だろうか。

何より怖いのが、その犯行を被害者家族が認めているということ。借金を清算するため、保険金狙いの犯行である。
この家族の「目」。普通の家族が悪に転落してしまったことを、観客は「目」を見て理解できてしまう。これが気持ち悪い。不快な目からにじみ出る雰囲気が生理的に受け付けられないのだ。これが「映画」であり、出演者が「俳優」であるということを忘れてしまっていた。

「殺したい」と願ったことのある人間と、殺人者との違いは、一線を越えたかどうかだけ。その事実を突きつけてくるのが本作。
「自分だけは違うと思っていた」、そんなセリフが出てくる。観客の思い上がりを指摘する鋭い一言だと身震いさせられた。
目の前で繰り広げられる凶行を眺めながら、「自分とは無関係、こんな人間は許されてはならない」と観客は思う。しかし、殺人犯の中にも「ふつう」の人間たちの中にも、凶悪の芽は確実にある。いつ、誰の花が開くのか、それがわからないから怖いのだ。

美学の無い、ある意味で純粋な悪の放つオーラ。それが人の心に与える影響はあまりにも大きかった。その証拠に観客はしっかりと気分を害し、落ち込む。

主役の三人の演技に注目されがちだけど、先ほどの家族のように脇を固める演者さんたちの存在感もさらに賞賛されるべきだ。実力者たちが、全力で観客の気分を損ねにかかってくる。覚悟して観よう。
気分の良い日に観てしまうと、せっかくのルンルン気分がギッスギスになってしまう。かといって不満にイライラしているような時に観てしまえば、観客であるあなたの「芽」が爆発しかねない。平凡な一日の、暇な時間に腰をすえて観るのがベストな鑑賞法だとわたしは思う。

鑑賞後はすみやかに、ピエール瀧が声の出演を務めている「アナと雪の女王」のオラフを観て癒されるべし。同一人物とは思えなくて笑えてくるから。つまり、「凶悪」を観て、そのまま布団に入ったりしないほうがいいよ、ということです。ハイ。




posted by TZ at 21:46 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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