映画やドラマをみていてふと思う。
「善人と悪人、説明されなくてもわかるのはなぜだろう?」
ナレーターに「主人公にとって、この人は仲間です、この人は悪人です、」といちいち説明されなくても、それぞれの立ち位置はわかる。
ではなぜ説明されなくてもわかるのか?
人間関係において、「与える」ひとは味方で、「奪う」やつは敵だと、本能で理解しているからではないだろうか。
現実の人間関係を見ても、この図式は当てはまると思う。
たとえば自分のことをちゃんと褒めてくれるひとは「味方」だ。
それは「嬉しい気持ち」や「自信」を与えてくれるからだろう。
惜しみなく笑顔を与えてくれるひと、励ましてくれる人、万札をポケットにねじ込んでくれる人、みんな「味方だ」
では自信を奪ったり尊厳を傷つける人間は?無論「奪う」側の人間であり、敵になる。
「与える」「奪う」というのは人間の根源的な行動なので、本能でそれを察知するのだろう。食料を奪われれば命の危機に瀕する。奪おうとする人間は命を脅かす敵だからだ。
人間関係をこじれるのも、「与える」という視点が欠けてしまった時に起きるのでないだろうか。
恋愛であれば「見てほしい」「関心を持ってほしい」「愛してほしい」「構ってほしい」といった感情が沸き起こる。
もちろんこれは悪いことではないのだが、「相手から与えてほしい」という気持ちに傾きすぎると、かならずどちらかが耐えられなくなる。欲しがるということは、相手から何かを奪おうとしていることに他ならないからだ。
恋愛を含め、大切なのは「先に与える」の気持ちなのだ。
「おいしいものを食べさせてあげたい」「笑顔にしてあげたい」「幸せにしてあげたい」相手が喜ぶ姿をみたいという気持ちがあって初めて良好な関係が築けると私は信じている。
「何かをくれたらお返ししてあげる」ではなく「先にしてあげたい」の精神。良い人間関係を築いていきたいのであれば、まずこちらから「惜しみない賞賛の言葉」や「朗らかな笑顔」を無条件に与えること。無条件に与えた時、気持ちのいい言葉や態度が返ってくる。与えたあなたは相手にとって「味方」だからだ。
人間関係がすべての基盤だ。常日頃から「先に与えること」をこころがけておきたいと私は思う。